平成十六年9月号「ガン手術五周年!夢の学校もミャンマーもスイッチON!」
皆様の念いと惠みの秋に感謝
まだまだ残暑厳しき折りながら、やっとしのぎやすい季節がめぐりめぐって来たようです。夏の暑さはすさまじかったですよね。
さて、皆様、おかげさまを持ちまして、私こと、九九年十月四日の肝癌手術以来、来月で五周年を迎えることとなりました。勝手にお祝をさせて頂きますのでよろしくお願い申し上げます。皆様には、本当にお世話になりました。この五年間のお心づかい、それにもまして、こんな私を見捨てることなく、おつき合くださいましたことに心から感謝申し上げます。
痛い思いをして一度手術をしたのだから、ず~っと大丈夫だろうと高を括っていたところへ、昨年十月の再発。「参った~!」と思いました。以来、今日まで、入院を繰り返し、毎月いくつかの病院を訪問しているわけですが、実は、今年三月、私にとって残された最後の方法は、緊急に生体肝移植をすること、といわれていたのです。しかも、移植ですから、臓器の提供者が必要です。つまり、私の家族からということになりました。したがって、この七月からは、大変な大仕事、大手術、長期入院が待っていたのです。
ところが、四月、五月、六月と、検査結果がむしろ好転し、先週九月十四日、「あったはずの腫瘍がない」という結果になったのです。漫画家の松本零士先生(宇宙戦艦ヤマト、銀河鉄道999など)に早速電話しました。「松本先生、喜んで下さい、ガンが消えました!」
「え!!古賀さん、ガンだったのですか?いや~、知りませんでした。本当ですか~。それは心中察するにもあまりあります。おめでとうございます。」長年おつき合い頂いている松本先生が、ご存じなかったことにはこちらの方がびっくりでした。
十八日(土)には、不思議なご縁で村上和雄先生(筑波大学名誉教授、国際科学振興財団バイオ研究所所長遺伝子工学の第一人者)とお茶を飲みながら二時間余りお話をさせて頂きました。先生からも、「いったいなぜ消えたのだと思いますか」と聞かれました。
私は、まず、六月十二日に他界した母の力が働いているのだと思っています。そして、医療関係者は勿論、生徒、ご家族、職員の皆様、友人、知人、会員、親族、ご先祖様、世界中の時空を越えたすべての皆様の念いで生かされたのだと思っています。
「父ちゃんが死ぬより、自分の腹を切る方がいい」と、さも当然と言う顔で言ってくれた子供たち、「古賀先生になら、僕の肝臓を上げてもいい」といってくれた友人の息子、もらう方が迷惑というようなアルコール漬けの肝臓を提供してもヨカバイと言ってくれた中高年のありがたい友人たち。すべての人々のお蔭です。
村上和雄先生は、すばらしい先生でした。十九日(日)に「笑いや感動がDNAをONにする」という演題で講演(佐賀市文化会館)をされ、講演の前後も、控え室でお話をさせて頂きながら、私も中身の深い、しかもすっとぼけた楽しいお話をじっくり聞かせて頂きました。
お話の内容は、私がいつも英語道場、空手道場、地球市民の会、絵本「いのちのまつりーヌチヌグスージ」、人間の翼「零戦」復元計画、そして、来月開校の「夢の学校『土曜学校』」について言っていることとまったく同じであったといっても過言ではありません。
「知性理性に偏り過ぎると感性が弱まる、本当に科学や人間を動かしているのは、感性であって、だからこそ、『感動』という言葉はあっても『知動』や、『理動』はない、知性理性をつきつめて行くと、サムシンググレートと言うものの存在を考えざるを得なくなる。」「すべての生命がDNAの遺伝子暗号というレベルでつながっており、宇宙全体に法則があり、法則があるという事は、合理的で調和があって美しい。これは、もうスゴイと言うほかはありません」「成功の鍵は天を味方につけること」とも言われました。
私もいつも言っていますよね、感動のない人生は生きるに値するのか、と。
また、これも縁あって八月二十二日には熊本でパッチアダムスとの出会いも得ました。
九月十二日には、パッチアダムスから、手紙と、サインとメッセージ入りの二冊の著書、DVD一本が送られてきました。メッセージのひとつに、
for Takeo "Chase your wildest dreams." Patch Adamsというのがありました。
今回の一連のことは、まさに、私には、まだまだやるべき仕事があると言うことなのだと受け止めております。再度いのちの休戦を与えて頂きました皆様に心から感謝です。
世のため人のためこの身をお使い頂き、授かりましたいのちをたいせつに、これからも、どんな時にも平気で生き、皆さんと共に、着実にしっかりと、常識の枠を越えたすばらしい夢を実現して行きたいと思っています。毎日がいのちのまつり、地球が舞台、今後とも何とぞぺったりとくっついていて下さいますよう、皆様どうぞよろしくお願い申し上げます。
(平成16年9月21日 古賀武夫)