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高歌哄笑-古賀武夫エッセー-


平成十五年1・2月合併号「死んでもいいと思える感動がありますか!」

死んでもいいと思える感動がありますか!
大人が変わらなければ、子供は変わりません。

またまた感動した話。私の長男の慈猛(やすたけ)、不思議とこれが私の家内の長男でもあるんですが、大学入試のために上京しました。慈猛は、高校四年目、つまり、同級生は、すでに昨春高校を卒業しています。
昨夜遅く、私が帰宅すると、息子が帰ってきていました。ひとしきり、試験の方はどうだったか、という話をすると、息子が、「大ちゃんがお父さんに会いたかてよ」と切り出しました。

大ちゃんとは、中溝大介。現在駒沢大学二年生、小学校のときから道場で英語と空手を習っていた思い出多い少年、いや、もう青年です。「正月も帰ってきて話したやっか」というと、「うんにゃ、違うさい、聞くぎ、感動すっごたっことば話しよったて」というのです。

聞いてみると、息子の入試が終わり(といっても後二校残っているのですが)、中溝大介、松尾大輔(東大1年)、吉村洋祐(東外大1年)の四人で、新宿で集まったのだそうです。松尾大輔と吉村洋祐も、小さい時から道場に通い、立派に高校生活を終え、昨春上京した組です。

その四人の話の中心は、何と、「ここまで古賀先生に育ててもろうて、これからは、恩返しばして行かんば!」「自分のこと、自分の学校のこともよかばってん、ほんなごて恩返しばして行かんば!」と言うことだったというのです。とても、これからの道場のことを思い、私が目の前にいたら話せないようなことを、幼い時からの仲良し四人組は、佐賀から遠く離れた花のお江戸の新宿で話し合ってくれていたのです。それだけではありません。何という偶然、丁度その頃、四人と一心同体、広島大学一年の山下翔一から私のうちに電話があったそうです。

用件は、「空手の黒帯を古賀道場から注文できますか」「できれば、『和道流古賀道場山下翔一』の刺繍と金線二本(=弐段)を入れてください」と言うことでした。

山下翔一は、現在広島大学の空手道部です。普通なら、『広島大学空手道部山下翔一』と入れるところだと思うのですが、『和道流古賀道場山下翔一』と、入れて呉れと言うのです。
洋子先生は、「ここまで立派に育ってくれて、道場のことを思ってくれて、(あなたも)もう死んでもよかとじゃなかですか」なんてことまで言いました。

私は、いつも言います。「感動のない人生は生きるに値しない。」私の人生は、何百生分の人生かもしれません。生徒さん(大人から子供まで)の言葉、行動を見ていて、本当に、「ここまで考えて頂いているのなら死んでもいい。」と思ったことが何度もあります。

一方、世の中を見回して見ますと、金や成績の近欲に振り回され、深遠な人生の目標もなく、あちこちをうろうろしている人が多いようです。生徒、保護者の皆さん、何のための勉強か、何のための塾か、進学か、何のための仕事か、働くとは、人生とは何か、生きるとは、死ぬとは、金、名誉、地位、欲望、生きる意味などについて、もう一度、じっくりと考えてみてはいかがでしょうか。

「一人の母親は、百人の教師に勝る」ということわざがあります。一般論で言って、大人、親や教師が、「本当にやりたいことがわからず、従って、やりたいことができず、自分の人生に満足できず」揺れているから、子供がその影響を受け、右往左往しているのではないでしょうか。

口先だけの大人の言動でなく、腹の座った、筋の通った生き方そのものが、これからの日本、そして世界を背負っていく若い世代を育てていくのだと信じます。

(平成15年2月12日 古賀武夫)