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高歌哄笑-古賀武夫エッセー-


平成十七年5月号「英語道と武道 - 自信」

英語道と武道 - 自信
新しく仲間となられた皆さん、そして古いお友達の皆さんへのラブレター

いよいよ新年度がスタートした。ゴールデンウィークも終わり、お父さん、お母さん、子どもたち、スタッフ、本格的な活動、勉強が始まる。

さて、今に始まったことではないが、古賀英語道場を英語を勉強する所だと思っている人がいるらしい。それは正解の半分である。後の半分、いやそれ以上のものは、「何を話すか」、なのである。話すべきもの、内容、話題を持っていない人は、日本語でも話せない。古賀英語道場では、英語というひとつの道具を用いながら、自己表現、相手への洞察力、感知力などを自然に身につけていく。

話す中身を持ち、外国語が十分話せると言うことはすごいことなのである。私も普段自分がいくつかの外国語を学んだことを意識していないが、国際会議など、海外の要人とお会いするときなど、どんなに中身があっても、言葉と言う道具、話す武器のない人はほとんど無言でいるしかないという場に遭遇する。戦争に素手で行くようなものなのである。逆に、手前味噌ながら、私はとても忙しくなる。英語やフランス語がある程度話せるわけだから、話題さえ見つかれば、会話の中心になり延々と社交が続くのである。

同じように和道流空手道古賀道場もいわゆる空手は半分以下、武道と言う自分を極限状態に持ち込む高度な技術体系の中で、目的は、いかに空手道で培った体力、気力、精神力、技、と言ったものを実社会で生かすかにある。自己表現、相手への洞察力、感知力、自己誘導、相手の誘導、いかに相手の間に入り、自己の間に引き込むか、自分と相手と一体になるか、など、英語道場と空手道場の間には違いがない。

自信がない人がいるという。自信とは自分を信じられることであり、生まれつき、天然に自分の力を百%信じきっている人もいるかも知れないが、一般には、訓練、自己鍛錬から生まれる場合が多い。武道における極限状態、英語道場における、スピーチフェスティバルや、英語劇英語ミュージカルなど、一人または仲間と舞台に上がるという行為は、一種の極限状態であり、状態の自己から解脱(はみ出す)練習でもある。

道場出身者で、スピーチフェスティバルや、英語劇の経験がいかに役に立ったかを語る人は数知れない。それらのお陰で、大学や社会人となって、まったく動じることなく、人の目を見ながら話し、交渉事をし、多くの聴衆を前にして講演や仕事のプレゼンテーションに臨むことができたと言う。これはすでに、英語の勉強を超えて、武道の領域に入っている。

これが、空手も英語も両方経験していたらどうなるかは容易に想像できることと思う。
「つよくやさしく、やさしくつよく」の道場訓のとおり、本当にやさしくて強い人々が輩出してきてくれているとうれしく思っている。

「自分が本当に幸せになるためには、世界全体が幸せにならなければならない」と言う言葉があるが、私もそう考えているし、私がご縁をいただいた皆様にもそう感じていただきたいと思っている。

人口爆発、食料不足、化石燃料の枯渇、環境の悪化、紛争戦争の問題など、世界の緊急課題に囲まれた中で、心の荒廃、命の大切さ、体力低下、経済不況に直面した現在、地球市民の会や夢の学校(土ようタマテ箱)と共に「世界の平和と親善、地域社会の向上発展」をこの道場は目指している。それが、私の運動の目的であり、この場を中心に、一人でも多くの方が、感謝の心を持って共に生き、より幸せになり、「自給他足他給自足」の本当の満足と平和を手に入れることができるよう、心からお祈り申し上げる次第である。

(平成17年5月12日 古賀武夫)